高砂市水道事業 100周年記念誌1.山陽鉄道開通前〜舟運の繁栄〜〈〜1888年〉 高砂町は近世以来、高砂港を中心とする港町として形成しており、同港は米の移出入港として発達してきた。 1885(明治18)年から1888(明治21)年まで、移出入合計額は200万円前後で推移していた。1885(明治18)年の移出入合計額は、兵庫港に次いで県内第2位であり、西宮港・神戸港・尼崎港を上回るなど、舟運が繁栄していた。2.山陽鉄道開通後〜高砂町の衰退〜〈1888年〉 ところが、1888(明治21)年12月に山陽鉄道(現:JR山陽本線)明石〜姫路間が開通すると状況が一変し、沿線から外れた高砂町は衰退の一途をたどることになる。 特に舟運は大きな打撃を受け、とりわけ、従来加古川を利用して高砂港まで運ばれ、海運で兵庫・大阪地方へ運んでいたルートに大きな影響を与えた。 高砂港の移出入合計額は、山陽鉄道開通まで200万円前後で推移していたが、1889(明治22)年には127万円余まで落ち込み、さらに1890(明治23)年には60万円余まで激減した。神戸港・兵庫港・尼崎港・西宮港に次いで第5位まで低下した。 高砂町の人口(戸数)は、1895(明治28)年には6,108人(1,153戸)にまで減少した。第1章 プロローグ(序章)15第2節 明治期の高砂町
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