高砂市水道事業 100周年記念誌・高砂市史第6巻 P.283・三菱製紙株式会社高砂工場3.神戸製紙所の高砂町進出〈1899年〜1901年〉 こうした町勢の衰退を挽回するため、町の有力者と大阪の資本家が出資して紡績工場を設立し、工業化によって地域振興を図ろうとする動きが出てきたが、日本経済が恐慌に見舞われた影響で水泡に帰した。次いで教員養成を目的とする師範学校を誘致する動きがあったが、これも実現には至らなかった。学校に次いで誘致の対象となったのが町外の大企業である。これが合資会社神戸製紙所(現:三菱製紙株式会社)の高砂町移転となり実現した。 1899(明治32)年3月に土地を買収、同年6月建設に着手、1900(明治33)年12月12日に工場完成、1901(明治34)年5月18日に操業を開始した。 神戸製紙所の高砂町進出の背景には、「水量の豊富な加古川に接しているので、工場用水については絶対安心である」との判断があったという。 1900(明治33)年9月18日の「神戸新聞」には以下の記述が残されている。神戸製紙所の地鎮祭と上棟式加古郡高砂町字藍屋町に新築中なる合資会社神戸製紙所の工事は意外に捗取り、既に大部分の落成を告げたるを以て建築請負者今井平七氏は千数百円を抛ち一昨日地鎮祭と上棟式を挙行せり。来賓は同社重役、阪神の三菱会社重役、郡長、警察署長、町長其他同町の名望家等無慮百余名にして非常に盛況なりしと。(1900年9月18日付け) こうして神戸製紙所の操業が開始されると、社員や職工らが転住してきて町の戸数が一挙に500戸ほど増えたといわれている。高砂町はにわかに衰勢を挽回し始めたのである。16
元のページ ../index.html#18