高砂市水道事業 100周年記念誌と書かれている。 こうして、上流でせき止め、かんがい用水を引き入れるという水利組合の慣習に、工場用水を便乗させる形をとることとした。2.かんがい用水の活用〈1903年〉 翌1903(明治36)年にもまた同じ陳情があったので、町長も堰止め申請に捺印せず、対岸の鳩里村も調印をしぶったので、やむをえず会社は工場横のかんがい用水を引き入れ、あるいはため池の水を使うなど相当苦しみ、ついには従業員に給料の半額を支給して操業を停止するという事態に追い込まれている。 これを知った町は驚き、多数の労働者にとって死活問題であり、ひいては高砂町にとっても重大問題であるとし、町議会と水利組合とで協議を重ねた結果、田植時に上流でせき止め、かんがい用水を引き入れる慣習があるので、工場用水をこれに便乗させようという案を考えた。 そして工場用水取水口の100mほど上流に新樋という、当時使用していない取水箇所があったので、これを利用することにし農民の総代は賛成した。 町長からの知事宛の願いには、堰止工事施工の儀御願高砂町所属加古川幹流堰止工事 1ヶ所延長80間 敷幅9尺天端3尺高さ 水底より10尺(水深干潮4尺)灌漑用水不足のため稲作の被害激甚にして此の儘の推移忍び難く、許可願度し。18・高砂市水道50年史 P.4・播州高砂町被害地略図 −高砂市史第六巻史料編近現代 P.304
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