高砂市水道事業100周年記念誌
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高砂市水道事業 100周年記念誌5.夏期工業用水確保の苦しみ〈1909年,1910年,1914年〉  以上は三菱製紙創業当時の用水上の苦難を述べたものであるが、当時の事業報告書には毎年血の出るような苦労をしていることが書きつづられており、用水事業は重要報告の一つになっていたようである。 ここで、夏期用水不足の苦しみを2、3ひろってみる。明治42年  連日旱天のため加古川幹流枯渇し工場用水欠乏に付7月31日全機械の運転停止      した。明治43年  例年のように旱天が打続き加古川幹流が枯渇し塩水逆流のため防潮工事を施し、      7月23日から引水、8月3日俄然増水のため堰止めの一部が決壊した。大正3年  本年夏期旱天連日にわたり、したがって加古川表流水の枯渇未曽有の長期間と      なったにもかかわらず、機械運転停止時の比較的少なく、例年の河流堰止工事      の煩雑さと費用とを免れたのは、主として大貯水池の増設によるものである。 貯水池を増設して安堵したのもわずかの間で、1918(大正7)年、1919(大正8)年にも堰止めを行った。三菱製紙株式会社が 1914(大正3)年頃工場拡張を計画したとき、新たに東京郊外中川に工場建設したのも、1916(大正5)年鐘淵紡績株式会社(現:株式会社カネカ 以下、鐘淵紡績)が新設予定の織布工場を他の場所へまわしたのも、加古川の水に原因があった。 これら一連の水の問題が、のちの高砂町水道建設の大きな背景になっている。第1章 プロローグ(序章)・高砂市水道50年史 P.621

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