第2章 水道事業の産声高砂市水道事業 100周年記念誌 上水道創設を決意した高砂町は、第1期工事として水源関係と導水路施設を創設して豊富な工業用水道を供給し、さらに第2期工事では浄水場施設や配水管工事等を行うことを計画した。 予算は双方協議のうえ、第1期工事費として72,500円を計上し、その財源を三菱製紙の寄附に求めた。1.水道創設の機運の高まり〈1917年〜1918年〉 先に述べたように、合資会社神戸製紙所(現:三菱製紙株式会社)及び鐘淵紡績に工場増設の計画があったが、水質不良の影響で誘致することができなかった。 町発展のためにも、町当局にとって用水対策は重大問題であった。 さらに高砂町は加古川河口部の海岸地帯にあるため、くみ上げた井戸水は塩分を含み、水質は良好とは言えず、衛生上からも水道を設置する機運が高まった。 そして1917(大正6)年5月6日の町会に、土居兵太郎議員から上水道敷設の建議案が提案され可決された。翌1918(大正7)年2月26日には上水道委員規定が制定された。2.三菱製紙株式会社との交渉〈1918年〉 町当局は、水道敷設の急務を提唱し、水道と工業用水の供給について研究する一方、工場側とも交渉し、三菱製紙株式会社(以下、三菱製紙)に工業用水敷設の要望があることを聞き、共同で事業を起こす協議が開始された。26・高砂町史誌 P.286第1節 工業用水道のはじまり
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