高砂市水道事業100周年記念誌
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高砂市水道事業 100周年記念誌 この案は、1918(大正7)年3月23日に議決され、同年4月10日に内務大臣に対して水道敷設の認可を申請した。当時、加古川河川改修工事の調査中で、河川流域その他に変化がある可能性があったため一時保留となった。したがって、三菱製紙との話し合いも自然消滅の形となり、計画は頓挫した。 その後、加古川改修工事の調査の結果、三菱製紙が使用している取水口も変更させられていることが明らかになった。そこで三菱製紙は、自家用設備として引水する計画を立て、町当局に対して次の3案を示し、意向を打診してきた。 第1案では、前回の契約では工事費の一部を町で負担していたが、今回は町長が欠員で臨時代理者であり、第一次世界大戦中で物価は暴騰し、予算額が4倍の285,000円となり、負担の協定は簡単にまとめることができなかった。三菱製紙は喫緊の問題であり、用水政策を永久に安定させる事業であることから、この工事金額を負担するものとした。 第2案は会社の施設を将来、高砂町が利用する意志があるならば、その時にそれに適応する工事を施すことは、工事も困難な上に多額の費用を要するので、この際それを見込んだ施設として将来のために寄与したいという意味である。 第3案は第1案、第2案とも希望がなければ、この工事に対して各種の援助を要望したものである。 三菱製紙の計画を要約すると、米田町古新に水源地を造って加古川の水を取り入れ、そこから加古川堤防に沿って、約2㎞下った場所、すなわち平岸の三菱製紙の取水口付近に分水池を設置し、一方は工場へ、一方は町の浄水場へ取水する方法であった。そして、用地買収費、水源地の構築費、送水費、その他諸費一切を三菱製紙が負担するというものであった。高砂町は、三菱製紙の示した第1案を選び、町は将来適当な時期に分水池から引水、用水施設第2章 水道事業の産声・高砂市水道50年史 P.727第1案 三菱ノ成案ヲ基礎トシテ此際、水道ヲ共同施設スルノ意志ナキヤ。第2案 此際即時実行ノ意志ナシトセバ、或時期ニ於テ三菱ノ施設シタル設備ヲ、上水道ノ    根底トシテ利用スルノ意志ナキヤ。第3案 前2案共其ノ意志ナシトセバ三菱ハ自家事業用水トシテ単独ニテ直ニ起工手続ヲ進    ムルニヨリ、会社所在地タル地方団体トシテ諸般ノ厚意的援助ヲ望ム。

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