高砂市水道事業 100周年記念誌3.賛成派の動向〈1922年〉 また、上水道敷設賛成派も1922(大正11)年6月9日に町公会堂に100人を集め、町会議員や町役場職員の列席のもと土居兵太郎町長が工事実施について協力を仰いだが「未だ十分の諒解は得兼ねた模様であった」と報じられている。(大朝神戸附録1922年6月12日) また、高砂実業青年会は同年7月16日、十輪寺で臨時総会を開き、上水道の完成に努力する旨を決議した。 さらに町当局は同年7月18日、「水道に就て」と題した経過及び収支予算を詳細に説明した約30頁の印刷物(写真)を町内各戸に配布した。町民の中にはこれで水道敷設を了解したものが大勢いた。 そして、この長引く紛争を憂慮した人々は同年8月8日、「各町から2、3名宛約三十名」で水道促進同盟を結成し、「いたずらに紛争を続ける時ではない、高砂町は四囲の情勢からみて水道は絶対必要である」と町内中堅層に呼びかけた。 その第一回の演説会が町公会堂で開催され、「自治体を破壊するが如き行動は飽くまで撲滅する必要がある」として、反対派を攻撃し、上水道工事は1日もおろそかにできない重要緊急事案である旨を説いた。第2章 水道事業の産声・水道に就て(中面2)・水道に就て(表紙)・水道に就て(中面1)・水道に就て(中面3)31
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