高砂市水道事業100周年記念誌
36/108

34高砂市水道事業 100周年記念誌 1923(大正12)年1月17日、土居兵太郎町長は兵庫県知事に辞表を提出し、6人の水道委員もただちに辞職し、調停案の第1、2項が即時に履行され、第3項は町会を開き改正案が可決され次第、町会側・町民側それぞれ5人ずつを選出する見通しがついていた。しかし、第4項は三菱製紙との契約更改に関する研究会を設け、従来の契約を更改し、一定の年限後は相当の給水料金を徴収することを高砂町の名義で三菱製紙に交渉し、それを実行するというもので、町会議員で三菱製紙の社員でもあった梅村勇が最後まで反対したが、調停成立前の1月14日、調停案の内示を受けた町会側が夜を徹して意見を交換し、調停者を交えてようやく了解したという経緯があった。 ところが、反対派は21日夜、突然町民大会を開催して「三菱製紙株式会社と町との契約の改正を絶叫し、且つ町会議員以外の町公民より選出する水道委員は全部同志会より選出する交渉を町会議員に要求」することにした。反対派は1月28日の和解式にも欠席の意向であったが、調停者の高山弁護士らの懇請で和解式には出席した。反対派を代表して挨拶に立った河合義一の演説中に「町会側の態度並びにその行為に飽きたらざるものがあったため、一座は妙な具合に」と当時の新聞は報じている。翌29日に第2期工事の地鎮祭はごく質素に行われた。 調停案の第3、4項が確実に実施されることを強く要請していた反対派は、和解式後も第4項につき研究会員の公選を要求したが町当局に拒否され、調停者も身を引いたために遂に決裂した。その後、3月6日の水道委員会で研究会組織の根本案件たる町対三菱の仮契約の鑑定を専門家に仰ぐことにし、2人の弁護士による鑑定書がそれぞれ提出された。 鑑定書はいずれも1919(大正8)年12月6日の高砂町と三菱製紙の間で締結した仮契約を、当事者一方において変更・廃止できない旨の内容となっていた。これを受けて、5月4日、高砂町会は研究会を組織しないことを正式に決定し、7月20日、この仮契約を本契約とする契約書が町当局と三菱製紙の間で交わされた。・高砂町史誌 P.306

元のページ  ../index.html#36

このブックを見る