高砂市水道事業 100周年記念誌2.第1回変更(鐘淵紡績進出に伴う拡張工事)〈1932年〜1933年〉 1932(昭和7)年10月、鐘淵紡績株式会社(現:株式会社カネカ 以下、鐘淵紡績)が高砂町に人絹工場を新設することとなり、1日約40万石(毎秒0.847㎥)の工業用水を供給する要望が高砂町に提出されたが、当時の施設能力ではその要望に応えることができなかった。このため、米田町古新地先の加古川床固上に伏倒式可動堰を設け、渇水時には取水位を高め、高潮時には潮水の逆流を防ぎ、既設の集水井から鐘淵紡績へ送水する計画を立てた。1933(昭和8)年3月に議会の議決を得て、同年4月上水道拡張工事申請並びに河水引用願を兵庫県に提出した。 河水引用願は、兵庫県の審査を終え内務省に進達されたが、同時期に伊保村に呉羽紡績株式会社が人絹工場を建設し、加古川の水を使用したいとの要望があり、また当時、加古川町、米田町、伊保村、曽根町においても人口増加が著しく、上水道施設の必要性を実感し、各町村とも水源を加古川に求めたことから、その水利はますます重要視され、加古川の水をめぐる争いが激しさを増していた。第3章 増え続ける水需要に対応するために(拡張事業)・鐘淵紡績から高砂町に提出された文書・鐘淵紡績株式会社全景43
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