高砂市水道事業 100周年記念誌4.第2次拡張計画の完成〈1930年〜1947年〉 高砂町が兵庫県、内務省に提出した加古川下流河水統制認可申請書の許可条件として、加古川六ヶ井普通水利組合と町が米田町船頭字奥野37番地の1地先の取水口から米田町米田新の配水池までの施設を改築、共用すべしとの条件が付されていた。 そこで高砂町は、可動堰設置場所を米田町古新地先から米田町船頭字奥野37番地の1地先に変更した。可動堰は加古川を横断して、その上流右岸に取水口を設置し、高砂町の上水道原水、工業用水、加古川六ヶ井普通水利組合の用水を加古川表流水より3.158㎥/秒、取水するものであった。 河水使用並びに工作物設置及びこれに関する工事施工について知事の許可を受け、この命令書について検討を行ったが、町が独自に施工することは困難であると判断し、兵庫県に工事を委託することとして1936(昭和11)年11月に議決を得て、知事に申請した。 1933(昭和8)年4月に出願してから約3年半を費やしてようやく許可を得たが、河川漁業問題が再燃し、町当局は折衝を重ねたが、交渉は困難を極めた。兵庫県水産当局にあっせんを依頼し、1938(昭和13)年12月に加古川漁業組合、下滝野漁業組合、沿岸上流方面9町村との関係も解決した。 1938(昭和13)年3月に起工し、堤内外水路改築から着手し、堰堤から下流の導水路は、在来の加古川六ヶ井普通水利組合の用水路を改修し、同年6月に竣工した。ついで同年12月堤内水路末端の配水池工事に着手、1939(昭和14)年5月に竣工した。これが現在の米新ポンプ場である。第3章 増え続ける水需要に対応するために(拡張事業)・工事中の堤内水路・加古川堰堤実施設計書45
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