高砂市水道事業 100周年記念誌1.播磨上水道町村組合の設立に至るまで〈1950年〉 高砂町と近隣町村は、海岸地帯であるため、水道水源の水質に問題を抱えていた。高砂町の上水道が完成したことを受けて、近隣町村でも上水道の必要性を感じていたが、各町が単独で実施するには膨大な予算が必要となり、対応は困難であった。 曽根町は1948(昭和23)年11月に、荒井村は1949(昭和24)年10月に、伊保村は1951(昭和26)年8月に、それぞれ水道布設の認可を申請した。3町村とも高砂町の既設の取水施設(高砂取水場(加古川堰堤))を使うことを前提とし、余力のあった国鉄高砂工場の浄水場(荒井町新浜2丁目、山陽電鉄荒井駅南付近)を共同利用すれば、経費を抑えられると考えていた。 当時の高砂町長は町村合併論議を進めるべく、また将来の水問題解決のため、荒井村、伊保村、曽根町と4か町村で1950(昭和25)年11月22日に播磨上水道町村組合を設立することとした。第3章 増え続ける水需要に対応するために(拡張事業)・(国)大阪陸軍造兵廠播磨製造所配置図(終戦時)・国鉄高砂工場「昭和29年高砂市概観」49第2節 第3次拡張計画
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