高砂市水道事業 100周年記念誌3.第1回変更(大塩町からの給水要請)〈1953年〜1954年〉 曽根町に隣接する大塩町から水道水供給の申請があったため、給水区域を播磨上水道町村組合4か町村及び大塩町に変更した。国鉄高砂工場の施設利用は生産原価が高くなるので(1㎥当たり7円40銭)、米田町米田新字新開に水源を設置し、ポンプ場より直送することとした。水源からの送水管は伊保町中島地内を通過し、伊保町渡場で西部幹線と連絡し、日笠山配水池へ送水することとした。(当初計画では水源位置を米田町米田新加児島352番地の1としていたが、用地の都合により米田町米田新字申新開300番地に変更した。) 1953(昭和28)年12月10日、計画変更認可申請を提出し、1954(昭和29)年12月4日認可を受けた。 給水人口66,500人(既認可各町村の計画人口の計、計画年次昭和40年)、1日最大給水量13,820㎥とした。4.第2回変更(高砂市の誕生)〈1954年〜1956年〉 1954(昭和29)年7月1日、高砂町、荒井村、伊保村、曽根町の4か町村が合併し、高砂市が誕生した。旧4か町村の上水道施設を統合するとともに、播磨上水道町村組合の施設も高砂市に引き継がれた。合併に伴い、事業計画を変更し、1955(昭和30)年12月10日に計画変更認可申請を行い、1956(昭和31)年9月13日に認可を受けた。 計画の概要は、給水人口66,000人(計画年次昭和40年 高砂市57,000人、大塩町9,000人)、1日1人給水量高砂市186ℓ、大塩町133ℓ、高砂市最大240ℓ、大塩町最大200ℓ、1日最大給水量15,480㎥(米田水源地11,400㎥、朝日町浄水場4,080㎥)とした。52・昭和29年市制記念パレード
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