高砂市水道事業100周年記念誌
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高砂市水道事業 100周年記念誌5.高砂市への米田町の分町合併〈1956年〜1959年〉 播磨上水道組合では、1956(昭和31)年1月12日の議員協議会において「米田町から強い要望のあった水道拡張工事について協議」し、1956(昭和31)年度の組合事業として、米田町全域にわたる水道幹線配管工事への着工が満場一致で可決された。口径100㎜と150㎜の水道管が発注され、約3,000m分を米田町に搬入していた。 米田町の町内は、「分町加古川市合併・分町高砂市合併・分町絶対反対」の3派に分かれ、町村合併促進法の期限である1956(昭和31)年9月30日が迫っていた。そこで米田町は、9月18日に兵庫県知事に分町境界線の線引きを一任した。兵庫県知事はこれを県町村合併促進審議会の審議に委ねた。同審議会は9月27日に米田町長及び加古川・高砂両市長を招き、徹夜で同町の分町境界線を協議した結果、「印南郡米田町は高砂市に合併するものとする。但し、その際において同町船頭及び平津の2地区は加古川市に編入するもの」とした。 米田町合併にかかわる県町村合併促進審議会の裁定には、「米田町内における幼稚園・小学校・中学校その他組合立による公共施設は、高砂・加古川両市組合立として継続すること」、「日毛印南工場廃水処理あるいは高砂上水道水利権その他両市に関係ある利害問題については、誠意をもって引き続きあっせんする用意あること」という2つの付帯事項があり、この付帯事項の処理が加古川市との間で改めて紛議の種となった。これら諸問題を処理するため、1957(昭和32)年3月13日に市長や市議長など各市それぞれ7人で構成する協議会(七人委員会)の設置が決定された。 同年3月14日、両市は分町合併問題処理について覚書を締結した。覚書では、「播磨上水道組合を解散し、組合及び米田町が有していた権利義務の一切を高砂市が引き継ぐこと」、「加古川市に編入された旧米田町の区域にかかる既設の配水施設は、高砂市に帰属し、将来における施設の拡張及び給水についても誠意をもって、高砂市が行うこと」が明記された。同年5月11日の七人委員会において、「昭和31年9月以降の水道料金は旧米田町料金で徴収すること」、「昭和31年9月以降の未徴収の水道料金は加古川市が徴収すること」が確認された。1957(昭和32)年5月28日には播磨上水道組合事業及び米田町水道事業が廃止され、高砂市上水道拡張事業認可を受けた。 高砂市は市外給水することとし、1959(昭和34)年3月31日「高砂市水道を加古川市米田町地域へ市外給水することに関する条例」を制定、米田中央幹線から分岐し配水管を布設した。54・米田町・阿弥陀村合併式典(昭和31年9月30日)

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