高砂市水道事業 100周年記念誌 米田町の水道料金の徴収は、給水開始後も様々な課題があった。給水工事の申込みは加古川市・高砂市両市の支所で受付を行い、水道料金及び使用料、手数料は加古川市の水道使用条例とした。また、料金徴収の事務委託は1958(昭和33)年4月以降とし、集金手数料を高砂市より加古川市に1件につき9円50銭支払うこととした。 その後、1961(昭和36)年4月1日に加古川市が水道料金を改定したことを受けて、高砂市も米田町の水道料金を改定して請求した。これに対し、加古川市は一時徴収を拒否したが、1966(昭和41)年に加古川市長から高砂市長に連絡があり、1966(昭和41)年度から全額住民から徴収することで議会の承認を得た。6.第3回変更(阿弥陀村及び北浜村の編入)〈1957年〉 先に認可を受けていた上水道施設を統合するとともに、1956(昭和31)年9月30日に米田町の一部とともに合併した印南郡阿弥陀村及び1957(昭和32)年3月10日に合併した北浜村の両地区を給水区域に編入し、拡張工事を実施することに伴い、計画変更を行った。 計画では、給水区域を高砂市一円及び大塩町、加古川市米田町の一部(平津、船頭地区)とし、給水人口を68,500人(計画年次昭和39年)、1日最大給水量17,580㎥として計画し、1957(昭和32)年4月30日に計画変更認可申請を行い、同年5月28日に認可を受けた。 計画では合併した阿弥陀、北浜地区に配水管を新設することとし、具体的には阿弥陀幹線(米田町神爪から旧国道を西進し阿弥陀中央部に至る)、阿弥陀西配水幹線(阿弥陀町阿弥陀から豆崎に至る)、北浜配水幹線(曽根町日笠山配水池から当時の国道神戸〜岡山線を西進して北浜町西浜〜北脇に至る)の整備を進めた。第3章 増え続ける水需要に対応するために(拡張事業)・北浜村合併調印式(昭和31年12月8日)55コラム⑤コラム⑤合併後の米田町を取り巻く状況
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