高砂市水道事業 100周年記念誌 1957(昭和32)年3月8日、高砂市が市外給水を行っていた大塩町が姫路市への合併を決めたことに対して腹を立てた当時の高砂市長は水道職員12名に高砂市から大塩町への上水道送水管を破壊させた。この送水管は、高砂市が大塩町との合併を見越して1954(昭和29)年4月から高砂市米田町の地下水を高砂市曽根町の日笠山配水池から提供していた。 警察では当初、この事件を自動車などの通行による自然損壊と断定していた。ところが、事件の1年半後の1958(昭和33)年7月の高砂市長選挙で当選した市長が発令した人事異動で、対立候補を支援した職員が配置換えさせられたことに反感を持ち、神戸地検姫路支部や県警本部、高砂署などへ投書が舞い込んで発覚した。逮捕された市長が「私が水道課員に頼んで破壊させた」と自供したことから事件は現職市長の逮捕という異例の形で幕を下ろした。水道損壊罪として市長のほか実行した水道職員は最高裁まで争い、事件後17年が経過したのち、全員が有罪となった。この事件は当時の水道事業が市町村合併を左右するほどの重要な影響を及ぼしていたことを表している。 なお、大塩町は1959(昭和34)年4月1日に姫路市と合併し、姫路市から給水されるようになったので、高砂市からの市外給水は中止した。第3章 増え続ける水需要に対応するために(拡張事業)・当時の新聞紙面57コラム⑥コラム⑥大塩町水道管破壊事件
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