西暦1960昭和 35年19611963昭和 36年昭和 38年1965昭和 40年年月日12月20日事業変更認可を申請 給水量の増大に伴う朝日町浄水場の拡張改良、配水管の拡張事業変更認可を受ける〔第4次拡張計画〕起工浄水色度が4.5度となり(基準値5度)、市民からの苦情が殺到厚生大臣ほか関係当局に「公害特に河川の汚濁防止について」の要望書を提出し、再度河川汚濁防止を要望〔第4次拡張計画〕完成12月3月1月1月28日10日28日3月12日水道出来事高砂市水道事業 100周年記念誌62コラム⑦コラム⑦加古川の水質汚染について工 事 名米田橋〜神鋼社宅線配水管布設米田橋〜宝殿中学校線配水管布設塩市〜山条線配水管布設 水源である加古川の水質は、上流の織物業界の活況化とパルプ生産量の増加によって、1953(昭和28)年頃から悪化の一途をたどっていた。水質が極度に悪化したので、1955(昭和30)年12月14日に市議会では「河川の汚濁防止について」の陳情議案を可決し、厚生省ほか関係官庁に陳情を行っていた。 しかし、当時、水質を規制する法律がなかったため、陳情の効果も上がらず、ただ排水を流す工場の反省を待つほかなく、事実上、放置状態であった。 1959(昭和34)年3月1日に「公共用水域の保全に関する法律」及び「工場排水等の規制に関する法律」が公布された。1960(昭和35)年、経済企画庁(現:内閣府)は江戸川に続いて加古川の水質基準設定のための調査を実施したが、兵庫県から染色排水の処理方法について結論がでていないことから結局水域指定は実施できない状況が続いていた。第4次拡張計画数 量801m833m256m鋳鉄管 φ150㎜×801m鋳鉄管 φ150㎜×826m φ100㎜×7m鋳鉄管 φ100㎜×211m鋼管 φ150㎜×45m工 事 の 概 要
元のページ ../index.html#64