高砂市水道事業 100周年記念誌 1969(昭和44)年7月に西脇染色排水処理施設、1971(昭和46)年8月にパルプ排水処理施設が完成した。しかし、西脇染色排水については、硫化系染色排水のみ処理し、そのほかの排水についてはPHの調整のみで、市が要望していた水質の改善は図られなかった。 加古川の汚染について、高砂市は、1966(昭和41)年に汚染源であるパルプ工場と西脇染色業者9社に対し、損害賠償請求等裁判を大阪地方裁判所に提訴した。 第1回公判は、1967(昭和42)年1月17日大阪地方裁判所で開かれ、さらに同年3月28日の第2回公判では被告弁護人から裁判移送の申立てがなされた。1967(昭和42)年4月15日、本事件は神戸地方裁判所へ移送が決定し、同年8月1日神戸地方裁判所で第1回準備手続きが開かれた。その後、1969(昭和44)年10月24日から1970(昭和45)年2月18日まで17回にわたって準備手続きが開かれ、原告、被告より証拠の提出、準備書面の提出が行われた。 この間、兵庫県から和解のあっせんもあり、工場側に対して排水処理設備の設置や新たに設定された水質基準の順守が示され、和解することとなった。70コラム⑨コラム⑨加古川水質汚染裁判について
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