高砂市水道事業 100周年記念誌741.計画策定と認可〈1982年〉 第6次拡張計画が完成した1977(昭和52)年においても、使用水量はさらに伸び続け、また、人口も第6次拡張計画時よりも増加が予想されたため、計画給水人口と給水量を増加する計画を立案した。 計画では、1992(平成4)年を目標年次として計画給水人口120,000人、1日最大給水量109,000㎥とした。1982(昭和57)年1月9日に変更認可申請を行い、同年3月17日に認可を受けた。2.計画内容と経過 第6次拡張計画から、1日最大給水量を29,200㎥増量し、水源は加古川ではなく1971(昭和46)年度から兵庫県が進めていた兵庫県水道用水供給事業から受水することとした。この当時は、人口増加がとどまることがなく、高砂市としては1日受水量33,800㎥を申し込んだが、認可を受けたのは29,000㎥であった。兵庫県の水道用水供給事業は1980(昭和55)年1月に厚生省(現:厚生労働省)から猪名川広域、東播広域、西播広域を統合することで認可を受けた。 事業計画では、米田水源地に7,000㎥の調整池を増設することと水源地の塩素注入設備を次亜塩素酸ナトリウムに切り替えることとした。また、送配水管については、給水区域内の必要水圧を均一化する計画を立案した。 しかしながら、その後、給水量は鈍化し、認可を受けた29,000㎥を受水すると水道事業経営の負担が大きく、当時の情勢を鑑み、2002(平成14)年3月1日から日量3,500㎥を受水することとした。第6節 第7次拡張計画と兵庫県水道用水供給事業受水
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