高砂市水道事業100周年記念誌 概要版
10/24

▼▼上水道のあゆみ(加古川水利統制)加古川水利統制が県において認可を得る年月日加古川に関する出来事県に工事を委託することの許可を得る県に工事を委託することの許可を申請加古川水利統制が県において認可を得る加古川六ヶ井普通水利組合加古川加古川改修工事の図取水井下流にて上流を望む(1933.12撮影)古新水源地(上水・工水)朝日町浄水場加古川市昭和11年高砂市域加古川市米田町地域9月11月昭和12年3月91932(昭和7)年10月に鐘淵紡績株式会社(現在の株式会社カネカ)人絹工場が高砂町に工場を新設することになり、工業用水供給の要望が高砂町に提出されました。ところが、当時の施設能力ではその要望に応えることができませんでした。そこで高砂町は水源の安定確保を目指して、可動堰を設ける工事を計画し、1933(昭和8)年4月に上水道拡張工事申請並びに河水引用願を兵庫県に提出し、内務省に進達されました。しかし、同時期に近隣町村で加古川の水を引用する計画があったため、1934(昭和9)年11月に内務省の意向により、兵庫県から水利統制案が示されました。高砂町が兵庫県、内務省に提出していた加古川下流河水統制認可申請書の許可条件として、加古川六ヶ井普通水利組合(現在の加古川六ヶ井土地改良区)と町が取水口から米田町米田新の配水池までの施設を改築、共用すべしとの条件が付されました。また、加古川河水統制による給水設備が完成するまでは、既設施設の給水余分を鐘淵紡績株式会社人絹工場に供給することとなり、浄水場に送水施設を築造する計画を立案し、1935(昭和10)年7月1日に工事に着手し、1936(昭和11)年1月30日工事が竣工し、2月1日より給水を開始しました。昭和12年当時明治33年~大正10年大正10年~大正11年大正12年~大正13年昭和7年~昭和12年昭和13年~昭和25年昭和25年~昭和31年昭和31年~昭和34年増え続ける需要に応えるために水源の安定確保を目指して

元のページ  ../index.html#10

このブックを見る