▼▼上水道のあゆみ【加古川堰堤】着工年月日出来事備考加古川洗川樋門(2023.8撮影)米新ポンプ場(上水・工水)高砂市域加古川市米田町地域工事中の米新ポンプ場(1939.3撮影)P古新水源地(上水・工水)朝日町浄水場加古川市加古川堰堤加古川六ヶ井普通水利組合(現:加古川六ヶ井土地改良区)の用水路を改修3月【堤内外水路改修】着工12月【工堤事内】着水工路末端の配水池昭和13年6月【堤内外水路改修】竣工3月【米新ポンプ場】竣工昭和14年5月【工堤事内】竣水工路末端の配水池5月22日河水使用並びに河水引用工作物設置及びこれに関する工事施工について知事の許可を受け、この命令書について検討を行いましたが、町が独自に施工することは困難であると判断し、兵庫県に工事を委託することとして、1936(昭和11)年11月に議決を得て、知事に申請しました。1938(昭和13)年3月に起工し、堤内外水路改築から着手し、堰堤から下流の導水路は、在来の加古川六ヶ井普通水利組合の用水路を改修し、同年6月に竣工しました。ついで同年12月に堤内水路末端の配水池工事に着手、1939(昭和14)年5月に竣工しました。堰堤工事は同年5月22日に着手しましたが、当時は日中戦争の最中で建設物資は統制下におかれ、資材・労力は一層不足し、4回にわたって設計変更を行いました。1941(昭和16)年、戦時体制強化のため、陸軍造兵廠が高砂町・荒井村に設置され、用水の取水を加古川堰堤に求めました。前述のとおり、加古川下流河水統制認可申請書の許可条件として、加古川六ヶ井普通水利組合と町が取水口から米田町米田新の配水池までの施設を改築、共用すべしとの条件が付されていたため、米新ポンプ場が運転開始した1942(昭和17)年以降は加古川六ヶ井普通水利組合と高砂町が共用し、灌漑用水、上水道、工業用水を同一の取水口から取水し、導水路によって導水の上、米田町米田新において、分水して使用していました。堰堤築造工事は、1933(昭和8)年4月の申請から15年の歳月を要し、1947(昭和22)年5月31日に竣工し、工事費は768,500円を要しました。11昭和25年当時明治33年~大正10年大正10年~大正11年大正12年~大正13年昭和7年~昭和12年昭和13年~昭和25年昭和25年~昭和31年昭和31年~昭和34年第2次拡張計画増え続ける需要に応えるために
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