▼▼工業用水道のあゆみ設の施工計画申請設稟請の件」を議決高砂工場操業開始(現在の三菱製紙株式会社)年月日出来事備考加古川古新水源地ポンプ室と現在も稼動するポンプ(1901年製)の銘板(2023.8撮影)高砂市域加古川市米田町地域古新水源地竣工式古新水源地(工水)加古川市加古川から取水加古川河川改修工事調査結果によっては水流変化の可能性があるため、工事内容が明らかになるまで内務省に進達できないと県が申請を一時保留⇒自然消滅のかたちとなり計画は頓挫明治34年5月18日神戸製紙所明治33年12月12日神高戸砂製工紙場所完成大正7年3月23日町議会で「工業用水道敷4月10日内務大臣に工業用水道敷3高砂町では水道よりも前に、工業用水道が創設されました。その理由は、1900(明治33)年高砂町に進出した神戸製紙所(現在の三菱製紙株式会社、以下三菱製紙)の工場建設が深くかかわっています。地理的に、高砂町は加古川の河口に位置し、くみ上げた井戸水は塩分を含んでおり、水質がよくありませんでした。当時の町当局は、水道創設が町の発展に欠かすことができず、三菱製紙から工業用水道敷設の要望があることが分かったことから、三菱製紙と交渉し、まず工業用水道の創設を立案、1918(大正7)年4月10日、内務大臣に、工業用水道敷設の施工計画を申請しました。三菱製紙からの寄附による工事費用72,500円で、「先つ工業専用の水道を敷設し、同時に一面近き将来に起工せんとする上水道の根基たらしめ、益々工業の振興を促進して以って本町の向上発展を企図せんとする」計画でした。しかしながら、この計画は加古川改修工事が調査中のこともあり、頓挫することになりました。1919(大正8)年、加古川改修工事の調査を終えて、第1期の工業用水道工事の工事費全額を三菱製紙が寄附することなどを盛り込んだ契約を三菱製紙と交わしました。その後、1920(大正9)年、町会は実施案を可決し、同年4月12日に内務大臣に申請し、同年11月17日に認可を受けました。工事費は町の予算1年分を優に超える285,000円で、1921(大正10)年1月18日に起工届を提出し、工事に着手、同年11月5日から工業用水の給水を開始しました。これが全国初の公営工業用水道事業の始まりです。大正10年当時明治33年~大正10年大正10年~大正11年大正12年~大正13年昭和7年~昭和12年昭和13年~昭和25年昭和25年~昭和31年昭和31年~昭和34年始まりは工業用水道全国初の工業用水道創設
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