高砂市ふるさと文化財標柱(案内板)設置について

更新日:2021年10月29日

高砂市ふるさと文化財標柱を設置

「地域の財産として親しまれ大切にされている歴史的文化的に価値のある財産」として、高砂市教育委員会が登録した「高砂市ふるさと文化財」を広く周知し、その価値を市民が共有し活用しながら後世に継承することを目的として、竜山石製の標柱(案内板)を設置しました。

 「高砂市ふるさと文化財」については下記のリンクをご覧ください。

(1)渚の井(平成23年登録)

平安時代に、菅原道真が大宰府へ左遷されるときに立ち寄り、この井戸水で手を洗われたという。かつては海岸線であったことから、渚の地名が残されたと伝わる。現在の伊保小学校の前身は渚井小学校であった。【標柱より抜粋】

渚の井と看板のある竹の蓋がされた井戸の写真
銀プレートが埋め込まれた白い石柱の写真

(2)弥兵衛塔・観月碑(平成24年登録)

弥兵衛塔は、江戸時代寛文3(1663)年、米田村の検地で便宜を図り、責任を感じて切腹した姫路藩士の加藤弥兵衛を、村人が顕彰した石碑。竜山石製。【標柱より抜粋】

観月碑は、江戸時代文化年間頃(1804~1818)米田神宮寺の栗本玉屑(くりもとぎょくせつ)らの俳人が、近くの川堤にあった観月亭で詠んだ句を刻んだ句碑。竜山石製。【標柱より抜粋】

弥兵衛塔

プレートが埋め込まれた石柱の隣に屋根と同じ高さの石碑が設置されている写真
銀のプレートが埋め込まれた石柱のアップの写真

観月碑

文字が刻まれた灯籠と石碑と石の祠が並んでいる写真

(3)日笠山貝塚(平成24年登録)

縄文時代前期~晩期の貝塚で、貝殻・動物遺体・縄文土器などや、屈葬された人骨1体(30~40才の成人男性)が出土。当時、一帯が海域で、食物採集のため、生活の拠点としていたと考えられる。【標柱より抜粋】

山の斜面に設置されたプレートが埋め込まれた石柱と看板の写真
山の斜面に設置されたプレートが埋め込まれた石柱のアップの写真

(4)竜ヶ鼻(平成24年登録)

岩が波の浸食によって削られ、竜の頭部に似ているため、名づけられた。明姫幹線道路建設工事のため、昭和51年に切り取られ、現在地へ移設された。【標柱より抜粋】

木々に囲まれひらけた場所にある竜ヶ鼻と説明が載っている石柱の写真

(5)網堂の石棺仏(平成25年登録)

網堂は、心光寺の旧跡に、時光寺の本尊を引き上げた網を埋めたことから、名づけられた。堂内には、古墳時代の石棺蓋石に、地蔵立像を彫刻した石棺仏が、安置されている。【標柱より抜粋】

古くなった木の引き戸が特徴的なお堂と銀のプレートが埋め込まれた石柱の写真
両側に掛け軸が飾ってあり花がお供えされているお堂内のお地蔵様の写真

(6)金時井顕彰碑(平成26年登録)

米田から伊保へ通じる農業用水路で、江戸時代に金時宗五郎と中村五郎右衛門が金時井を手がけた。この石碑は、伊保村の人々が、二人の業績を顕彰して、安政4年に建立した。【標柱より抜粋】

森の中に設置された石垣の上にある金時井顕彰碑の写真

(7)経政神社(平成26年登録)

平安時代末期の寿永3年、一の谷の合戦で敗れた、平経盛(清盛の弟)の子、但馬守経正が、この地へ逃れ自刃し、従士が小祠をまつってなぐさめたのが、この神社という。【標柱より抜粋】

林の中にある白い石の階段が設置された経政神社の写真

(8)石造地蔵菩薩坐像『川地蔵』(平成27年登録)

川地蔵は、隠岐島の焼火大権現を本地とする。高砂の町衆が、海上安全等を願って造立したと伝えられる一方、明和元年(1764)に、十輪寺の登空上人が建てたとも伝わる。竜山石製。

【標柱より抜粋】

綺麗に敷き詰められた砂利の上に立つお堂の写真
たくさんのお供物と金色の造花の真ん中に鎮座するお地蔵様の写真

この記事に関するお問い合わせ先

健康こども部 健康文化室 文化スポーツ課

〒676-8501
兵庫県高砂市荒井町千鳥1丁目1番1号

電話番号:079-443-9136

お問い合わせはこちら