美濃部親子文庫

更新日:2024年06月05日

美濃部親子文庫石碑

            美濃部親子文庫石碑

親子文庫(伊保交流センター)

伊保地域交流センター1階 美濃部親子文庫

 

美濃部達吉・亮吉親子の功績を知ることができる「美濃部親子文庫」の一部を伊保地域交流センター1階多目的スペースに展示しています。

場所

伊保地域交流センター案内図

所在地

伊保地域交流センター 1階 多目的スペース

兵庫県高砂市伊保東1丁目18番6号

電話番号:079-447-2247

地域交流センターについて

「美濃部親子文庫」とは

昭和27年(1952)、高砂市の依頼により、美濃部達吉氏の蔵書が寄贈され「美濃部文庫」が開設しました。その後、昭和60年(1985)7月には美濃部亮吉氏のご逝去に際し、多数の貴重な蔵書、資料が寄贈されました。

 

高砂市では、これらを「美濃部親子文庫」として整理し、昭和60年(1985)11月より高砂公民館で保管・公開してきましたが、令和6年(2024)5月から伊保地域交流センターで展示することとなりました。

美濃部親子文庫の経過

昭和27年(1952)  故美濃部達吉氏の蔵書が寄附され、高砂中学校で美濃部文庫が開設される。
昭和33年(1958) 高砂市立図書館が設置され、美濃部文庫が移転される。
昭和53年(1978) 高砂市立図書館が曽根町に設置され、美濃部文庫は高砂公民館へ移転。
昭和60年(1985)  故美濃部亮吉氏の蔵書等が寄附され、美濃部親子文庫に改称。
平成4年 (1992) 故美濃部達吉氏の書簡等が寄附される。
平成26年(2014) 故美濃部亮吉氏ゆかりの品(ペン等)が寄附される。
令和6年(2024) 伊保地域交流センター1階図書室へ移転(高砂公民館閉館による)。

 

美濃部達吉氏(法学博士)略歴

美濃部達吉
明治6年 (1873) 蘭方医の父美濃部秀芳の二男として高砂町材木町で出生。
明治30年(1897) 東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。
明治35年(1902) 東京帝国大学法科大学教授となる。
明治45年(1912) 『憲法講話』刊行、天皇機関説を唱える。
昭和7年(1932) 貴族院議員に任ぜられる。
昭和20年(1945) 政府の憲法問題調査委員会に顧問として出席、意見書を提出。
昭和23年(1948) 5月23日逝去。

 

美濃部亮吉氏(経済学博士)略歴

美濃部亮吉
明治37年(1905) 美濃部達吉の長男として東京小石川(現東京都文京区)で出生。
昭和2年(1927) 東京帝国大学経済学部を卒業後、助手となる。
昭和9年(1934) ドイツ留学後、法政大学経済学部教授となる。
昭和24年(1949) 東京教育大学教授となる。
昭和28年(1953) 経済学博士の称号を受ける(法政大学)。
昭和42年(1967) 東京教育大学教授を辞任後、東京都知事当選(3期12年)。
昭和55年(1980) 参議院議員に当選。
昭和59年(1984) 12月24日逝去。

この記事に関するお問い合わせ先

教育推進室 生涯学習課(文化財係)

〒676-0823
兵庫県高砂市阿弥陀町生石61-1

電話番号:079-448-8255

お問い合わせはこちら