美濃部親子文庫
美濃部親子文庫石碑

伊保地域交流センター1階 美濃部親子文庫
美濃部達吉・亮吉親子の功績を知ることができる「美濃部親子文庫」の一部を伊保地域交流センター1階多目的スペースに展示しています。
場所
「美濃部親子文庫」とは
昭和27年(1952)、高砂市の依頼により、美濃部達吉氏の蔵書が寄贈され「美濃部文庫」が開設しました。その後、昭和60年(1985)7月には美濃部亮吉氏のご逝去に際し、多数の貴重な蔵書、資料が寄贈されました。
高砂市では、これらを「美濃部親子文庫」として整理し、昭和60年(1985)11月より高砂公民館で保管・公開してきましたが、令和6年(2024)5月から伊保地域交流センターで展示することとなりました。
美濃部親子文庫の経過
昭和27年(1952) | 故美濃部達吉氏の蔵書が寄附され、高砂中学校で美濃部文庫が開設される。 |
昭和33年(1958) | 高砂市立図書館が設置され、美濃部文庫が移転される。 |
昭和53年(1978) | 高砂市立図書館が曽根町に設置され、美濃部文庫は高砂公民館へ移転。 |
昭和60年(1985) | 故美濃部亮吉氏の蔵書等が寄附され、美濃部親子文庫に改称。 |
平成4年 (1992) | 故美濃部達吉氏の書簡等が寄附される。 |
平成26年(2014) | 故美濃部亮吉氏ゆかりの品(ペン等)が寄附される。 |
令和6年(2024) | 伊保地域交流センター1階図書室へ移転(高砂公民館閉館による)。 |
美濃部達吉氏(法学博士)略歴

明治6年 (1873) | 蘭方医の父美濃部秀芳の二男として高砂町材木町で出生。 |
明治30年(1897) | 東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。 |
明治35年(1902) | 東京帝国大学法科大学教授となる。 |
明治45年(1912) | 『憲法講話』刊行、天皇機関説を唱える。 |
昭和7年(1932) | 貴族院議員に任ぜられる。 |
昭和20年(1945) | 政府の憲法問題調査委員会に顧問として出席、意見書を提出。 |
昭和23年(1948) | 5月23日逝去。 |
美濃部亮吉氏(経済学博士)略歴

明治37年(1905) | 美濃部達吉の長男として東京小石川(現東京都文京区)で出生。 |
昭和2年(1927) | 東京帝国大学経済学部を卒業後、助手となる。 |
昭和9年(1934) | ドイツ留学後、法政大学経済学部教授となる。 |
昭和24年(1949) | 東京教育大学教授となる。 |
昭和28年(1953) | 経済学博士の称号を受ける(法政大学)。 |
昭和42年(1967) | 東京教育大学教授を辞任後、東京都知事当選(3期12年)。 |
昭和55年(1980) | 参議院議員に当選。 |
昭和59年(1984) | 12月24日逝去。 |
この記事に関するお問い合わせ先
教育推進室 生涯学習課(文化財係)
〒676-0823
兵庫県高砂市阿弥陀町生石61-1
電話番号:079-448-8255
お問い合わせはこちら
更新日:2024年06月05日