美濃部達吉

更新日:2021年10月29日

憲法学の権威、気骨の法学者

丸眼鏡をかけてこちらに笑顔を向ける、色褪せた美濃部達吉の写真

 明治6年(1873年)高砂町に生まれました。幼少のころより神童と呼ばれ、東京帝国大学法学部を卒業後、東大教授として憲法を講じています。その後、達吉の論じた「天皇機関説」が問題となり、著書「憲法撮要」などが発売中止となり、その後、公職を退かざるを得なくなりました。しかし、敗戦後、憲法改正の際には顧問として活躍し、新憲法の研究を重ね、次々と著書を執筆しました。

木の枠とガラス扉の本棚に並ぶ、美濃部親子文庫の背表紙の写真

 現在、高砂公民館には、「美濃部親子文庫」が残され、達吉、亮吉の功績を知ることができます。

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