美濃部達吉
憲法学の権威、気骨の法学者

明治6年(1873年)高砂町に生まれました。幼少のころより神童と呼ばれ、東京帝国大学法学部を卒業後、東大教授として憲法を講じています。その後、達吉の論じた「天皇機関説」が問題となり、著書「憲法撮要」などが発売中止となり、その後、公職を退かざるを得なくなりました。しかし、敗戦後、憲法改正の際には顧問として活躍し、新憲法の研究を重ね、次々と著書を執筆しました。
明治6年(1873年)高砂町に生まれました。幼少のころより神童と呼ばれ、東京帝国大学法学部を卒業後、東大教授として憲法を講じています。その後、達吉の論じた「天皇機関説」が問題となり、著書「憲法撮要」などが発売中止となり、その後、公職を退かざるを得なくなりました。しかし、敗戦後、憲法改正の際には顧問として活躍し、新憲法の研究を重ね、次々と著書を執筆しました。
更新日:2025年01月31日