国史跡「石の宝殿及び竜山石採石遺跡」

更新日:2022年02月08日

日本造園学会 ランドスケープ遺産として史跡が紹介されています

次世代に継承したい景観として史跡を含む竜山の景観が紹介されました。

紹介ページは下記の通りです。

 

⇒石の宝殿ならびに採石空間の景観(公益社団法人日本造園学会HPより)
https://heritage.jila-zouen.org/archives/967

 

人が伝える「ランドスケープ資産」
⇒No4-2「石の宝殿ならびに採石空間の景観」(日本造園学会関西支部HPより)
http://landscape-kansai.jila-zouen.org/archives/researcher/1004

 

紹介させていただいたHPのトップページはこちらです。

公益社団法人 日本造園学会HP トップページ(https://www.jila-zouen.org/

日本造園学会 関西支部HP トップページ(https://www.kansai.jila-zouen.org/

史跡保存活用計画の策定

 高砂市では、国史跡「石の宝殿及び竜山石採石遺跡」を適切に保存管理し、積極的な活用整備を推進するために、平成29年3月に『史跡保存活用計画』を策定しました。

史跡の紹介

 平成26年10月6日付で文部科学大臣は「石の宝殿及び竜山石採石遺跡」を、国の史跡に指定しました。国の史跡指定は、市内で初めてのことです。

宝殿山中腹地点より俯瞰で撮影された、生石神社本殿の背面と石の宝殿の写真。写真の奥には竜山の遠景も確認できる

石の宝殿と竜山遠景

石の宝殿とは

 石の宝殿は、阿弥陀町生石にある生石神社のご神体で、「浮き石」や「日本三奇」の一つとも呼ばれています。

 一辺5メートルを超える巨大な直方体の石造物で、背面には突起がついています。国内でも他に類例がなく、大変貴重な文化財です。生石神社境内にある建築や石造物、古墳(竜山1号墳)も、石の宝殿とあわせて、国指定史跡となりました。

 奈良時代の『播磨国風土記』に、家の形をした「大石」として登場し、少なくとも1300年以上前から存在していたことがわかっています。しかし、なぜ、だれが、何のためにつくったのか、神がつくった神殿説や、大王の石槨(せっかく)説など、謎を残したまま、さまざまな諸説が展開されています。

正面向かって左側より撮影された、石の宝の全景の写真

石の宝殿前面

石の宝殿背面付近の写真。生石神社本殿とは反対の面に四角錐体状の突出部が大きくせり出しているのが確認できる

石の宝殿後面

ほぼ真上から撮影された、竜山1号古墳の遺構の写真。手前から順に石棺の蓋、石棺、石室の遺構が確認できる

竜山1号墳

竜山石採石遺跡とは

 竜山の山中に点在する竜山石を採石した遺跡です。

 竜山石とは今から約9000万年前に形成された凝灰岩で、古墳時代から現在まで約1700年間採石され続けています。高品質で加工に適した石材として様々な石造物の製作に使われてきました。古墳時代の大王の棺や江戸時代の建築材などに利用されてきました。竜山石の製品は、西日本各地に流通し、石の文化を形成しているといえます。

 竜山全体で160箇所以上の採石遺構があり、今回そのうちの31箇所が国指定されました。

竜山の採石遺構15箇所目地点の写真。石の表面に切り出す為の矢穴が確認できる

採石遺構:竜山15地点

竜山の採石遺構31箇所目地点の写真。石の切り出し面が草木に覆われている様子が確認できる

採石遺構:竜山31地点

(山中には危険箇所もあるので、立ち入りには十分に注意して下さい。)

観涛処とは

観涛処にある、「觀」「濤」「處」の三字が彫り込まれた巨石の写真

 江戸時代の天保7年(1836)年に、姫路藩の命で景勝地として「觀濤處」の三大字が崖面に掘られました。観涛処の上からは南方の海を見渡すことができます。江戸時代以降、石の宝殿とともに名所として参詣ルートにもなっていました。

 製作された当時の採石・加工の技術を残す遺構としても評価され、あわせて国史跡となりました。

観光案内のページへ

  • 石の宝殿については、以下のリンク「市内名所」の「生石神社(石乃寳殿 いしのほうでん)」の項目をご覧ください。
  • 竜山石については、以下のリンク「竜山石」をご覧ください。
  • 観涛処については、以下のリンク「市内名所」の「観濤処」の項目をご覧ください。

市内の文化財一覧は以下のリンクをご覧ください。

この記事に関するお問い合わせ先

教育推進室 生涯学習課(文化財係)

〒676-0823
兵庫県高砂市阿弥陀町生石61-1

電話番号:079-448-8255

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